ヤンキーは革命家なのかもしれない、、、

誰に読ませるためでもない、老いてく私のためのブログ。
美しい記憶、哀しい記憶、甘い記憶、
感性が老いる前に記憶にとどめたいことを綴るブログ。
未来の私に再度読んで、感じて欲しいことを綴っています。

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中学の頃、中途半端なヤンキーだった。
一緒につるむ友人の中には筋金入のヤンキーもいて、
シンナーはするわ、深夜まで家にいないわ、
14歳ですでにセックスしていた友人もいた。
私は半端もんだったので、筋金入のヤンキーにはなれなかったけど、
とことんグレている友人たちの気持ちが今は痛いほど分かる。

私が通った中学は、
全国でも珍しいほどに荒れている学校だった。

治安はかなり悪く、
学校の窓ガラスはほとんど割られ、
生徒のほとんどが経済的に余裕があるわけでもなく、
親が繁華街で水商売をしている者も多く、
地元のヤクザとガラの悪い米軍兵が週末に道端で格闘をするような地域だった。

底辺の学校で様々な機能不全な家庭環境で育ったヤンキーたちは、
色んな意味を込めて学校や社会に反抗しつつも、
残念ながら無知がゆえに、
自分が何にどう怒っているのかさえも分からなかった。

形骸化している無意味な校則、自分が置かれている経済格差、
大人たちの無機質なコミュニケーション、個性よりも集団、既婚主義、
高校にも行けない貧困家庭への無慈悲な社会システム、
何の役に立つのか分からない授業、そして思考停止な大人たち、、、、。

私たちはこれら全てのシステムをぶち壊したかったけれど、
革命の仕方が分からず苦しみ、反抗することで怒りを発散して楽しんだ。

もっと自由になりたい、もっと本質的に生きたい、
もっと優しい世界に生きたい、
そう願いながらも無知な私たちは敗北し続けた。

中学のころ遊んでいた友達の多くがアル中になり、
数名が若くして亡くなった。

あれから35年、35年たった今でも社会はさほど変わらない、

無意味な校則、軍国式の教育、入社式での同じ黒のスーツ、
経済格差、職業差別、性差別、年功序列、、弱者への無慈悲な社会システム、、、。

私たちの小さく無邪気なヤンキー革命はものの見事に失敗した。
それでもあの体験は私が私でいるために必要な体験だった。

亡くなってしまった友人たちへ、いつかどこかで会えるなら伝えたい、
「甘く、ほろ苦く、ちょっぴり哀しくも美しい体験を一緒にしてくれてありがとう。
私たちはこのヘンテコなシステムの中、精一杯生きてたね」って、天国で逢えたら共にねぎらいたい。

中学のころ、制服の胸がきつかった、、、。

最後にブログを書いたときから約1年半、
今日はこのブログの新しい日、
完全リニューアル。

このブログを最初に立ち上げたときは、
読者に読んでもらうブログを目指していたんだけど、
そんなことどうでもよくなった。

これからは読者を気にせずに書き綴る。

誰のために書くのか?それは未来の老いたわたしのため。
今の日々、感性が豊っただった想い出や忘れてしまっては困る、
大切な記憶、それをつづっていくことにする。

1987年、レベッカのCheap Hippies という曲が好きで毎日聴いていた。
冒頭の部分でわかる、わかる、と共感できる、友達のような歌詞に惹かれた。

「制服の胸がきつくて爆発しそうなあの頃、
憧れはスリムでSexyなBodyなのに、
ミントチョコがやめられなかった」
~cheap hippies:レベッカ~

この歌詞を聴くたびに胸がキュンとなって泣きそうになった。

今だってこの文章を書いているだけで
あの美しくて苦しい日々を思い出して泣きそうになる。

中学の頃、
毎日制服を着るのが嫌だった、
小さな胸が膨らみがだんだんと大きくなり、
制服が身体的にきつくなってきたのもあるけど、
制服がわたしのすべてを覆っていくような、
わたしの良い部分を盗すまれてしまうような、
息ができない、そういう苦しい感じがした。

そして本当に憧れはスリムなボディなのに、
学校の帰り道に友達とお菓子やに寄り、お菓子を食べるのがやめられなかった。

15歳、色んな友達がいた、シングルマザーで夜に母親がいない友達が多く、
両親揃っている子の方が少なかった。

みんなどこかで疎外感を感じていて、一緒に何度もレベッカを聴いた。
アルバムは高いので皆でお金を出し合って、レコードとプライヤーを買った。

学校からプレイヤーがある子の家に集まって、
毎日レベッカを聴いた、
15歳で沢山葛藤を抱えた私たちは
レベッカを聴き、皆で疎外感を共有することで
心をどうにか正常に保っていた。

15歳、あのころ、
わたしたちは先生や親なんて全く信頼できなくて、
レベッカのNOKKOだけが唯一信頼できる大人だった。

もしかしたらあの共有できた経験がなければ、
心がぶっ壊れていたかもしれない。

だから今苦しんでいる15歳がいれば、
声をかけたくなる。

制服なんてクソだ、
あなたの個性を殺す校則なんてクソだ、
校則の意味を理論的に説明できない教師や、
大人なんて信じなくてもいい。

でもどこかにいるよ、
信じられる大人が、
それは確実に少数だけど、
わたしがレベッカのNOKKOに出逢ったように、あなたも出逢えればいいね。